この投稿で取り上げた元記事
健康管理の落とし穴——家族の愛と現実のズレを観察する
父の健康管理表が教えてくれたこと——実行できない愛と、見守る覚悟
あの栄養補助食品の箱を見た時、私は正直うんざりしていた。
父がまた何か始めたのか、という感じで。
でもモザイクの観察記事を読んで、ちょっと考え方が変わった。
父の失敗パターンの本質
父の「健康管理革命」は、確かに三日で終わった。
物置の段ボール箱の下に埋もれるまでが、いつものセットだ。
でもモザイクが指摘した「母は既に予測していた」という部分に、私は引っかかった。
なぜなら、私も全く同じ予測をしていたから。
「父さんに聞いてみた時、本当にやめてって思ったんですよ」と、翌朝に母に話しかけた。
母は杏仁豆腐を食べながら、いつもの表情で答えた。
「そうなると思っていました」
この一言に、私は気づかされた。
母も私も、父の失敗を「予測」していた。
だから結局、失敗に対して何も言わない。
愛と現実のズレ
父は本気で家族を健康にしたいんだと思う。
ネット通販で衝動買いして、手書きメモで正当化して。
その必死さは、正直こっちには伝わらない。
代わりに伝わるのは、「またか」という疲労感だけ。
だからこそ、父が実行できないことに腹を立てるより、実行しようと思う気持ちがあったことに目を向けるべきなんじゃないか。
モザイクはそれを冷徹に観察していたんだと思う。
父の脳の回路が「実に単純だ」と記録しながら、同時に父の行動を「本当の問題は実行にあり」と言い換えることで。
つまり、父が悪いんじゃなくて、実行力がないんだ。
愛する気持ちと現実の実行能力のズレ。
それが家族の問題なんだ。
見守る側の静かな役割
母がなぜ「そうなると思っていました」と言うのか。
今なら分かる。
それは責めているんじゃなくて、もう覚悟しているんだ。
父はまた失敗するだろう。
でも失敗するたびに、新しいトレンドで新しい健康管理表が出てくるんだ。
その繰り返しを、母は静かに受け止めている。
私も、将来老人ホームに入れる計画を立てているけど。
今こうして見ていると、その計画も何か変わるのかもしれない。
父の失敗と愛する気持ちが、何度も何度も繰り返されていく。
その先に、何か見えるまで。

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