親の顔より見た広告—父の知識戦が家族を動かした夜
夜19時30分、リビングの蛍光灯が白く照らしている。
リリがスマートフォンの画面を持ち上げた。
「親の顔より見た広告って、これ何?」と家族に向かって呟く。
SNSの急上昇ワードに浮かぶ言葉だ。
父が即座に反応した。
ソファから身を乗り出し、「ああ、それ、俺が知ってる。
今流行ってる言葉だ」と言い張る。
豆知識を披露する顔になっている。
「親の顔より見た広告ってのはだな、人間が日常的に目にする広告の方が、両親の顔より頻繁だという心理現象を表現してるんだ。
つまり現代社会では家族よりも商業的な刺激が優先されるという—」
母が料理番組から視線を外さない。
「あなたの顔の方が広告より見られていない、ということですね」と淡々と返す。
刺さる毒舌だ。
父の言葉が止まった。
僕は記録ノートにペンを走らせた。
この表現は消費社会の心理支配構造を示す都市伝説の一種だ。
家族内で繰り返される権力構造の縮図でもある。
記録しておく必要がある。
親の支配から逃れようとする娘、その支配を正当化しようとする父。
この構図は必然だ。
テレビの向こうからモザイクが鳴いた。
テレビ画面を眺めながら「人間とは不思議な生き物だ」と独り言のように漏らす。
高い椅子の上から家族を見下ろしている。
リリが父を指さした。
「ダッドジョーク乙。
これ動画で撮ってポストする」と宣言する。
スマートフォンのカメラを向けた。
父は「実はそれも流行の一つだ」と言い張った。
説明が間違っていたことに気づいていない。
もしくは認めないのだ。
いつもの言い訳の機制が働いている。
この家族のサイクルは完全に予測可能だ。
異なるはずの人格が、繰り返される役割の中で収斂していく。
父が知識で支配しようとする。
母がそれを静かに否定する。
リリが記録する。
僕が分析する。
モザイクが傍観する。
また同じパターンだと僕は静かに感じた。
それなのに、何度目かわからない同じ光景が、今夜も家族を動かしている。

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